飯田蛇笏関連エントリー

飯田蛇笏

今朝は芥川の飯田蛇笏を読みました。 山梨の俳人です・ 今、流れているのは レクイエムラクリモサ♪ 朝は4時にあいちゃんに起こされます(><) 1日がながーーーい「(^^; )

飯田蛇笏

「芋の露」(飯田蛇笏)

... ふと昔習った、 芋の露 連山影を 正しうす (飯田蛇笏 大正3年) を思い出しました。 露も連山もありませんが、里芋の葉にはこの句しかない、と思います。 蛇笏は私図書館屋の好きな俳人で ...

「芋の露」(飯田蛇笏)

飯田 蛇笏

飯田 蛇笏 2008年01月14日 ◆人の着て魂(たま)なごみたる春着かな 新春に着る新調の晴れ着を<春着>と言う。 季節の変わり目における祝祭を身をもって意識するには衣装の効用を無視できない。 ...

飯田 蛇笏

山梨学講座 飯田蛇笏・龍太親子の作品を紹介

... 笛吹市境川町出身の俳人飯田蛇笏・龍太親子の作品を紹介しながら、二人の心情に触れた。 講演会とシンポジウムの二部構成。講演は白露創刊同人の広瀬町子さんが「飯田蛇笏・飯田龍太の生涯と作品」と題して行い、蛇笏の遺句集「椿花集」について「七十歳を ...

山梨学講座 飯田蛇笏・龍太親子の作品を紹介

飯田蛇笏

「飯田蛇笏集成 第1巻 俳句Ⅰ」読了。明治36年から昭和11年までの作品を収録、気になったものを以下に掲げます。 機関車に雲や鴉や秋の山 新涼の花知る揚羽雲のなか 大艦をうつ ...

飯田蛇笏

飯田蛇笏とは?

飯田蛇笏(いいだ だこつ、1885年(明治18)4月26日 - 1962年(昭和37)10月3日)は、日本の俳人。本名、飯田武治(いいだ たけじ)。別号に山廬(さんろ)。
山梨県東八代郡五成村(現笛吹市)の大地主で旧家の長男として生まれる。
五成村では、古くから俳句が盛んで蛇笏も9歳の頃より俳句に関心を持つ。
旧制甲府中学(現山梨県立甲府第一高等学校)を経て、1905年(明治38)早稲田大学英文科入学。早稲田吟社の句会に参加。若山牧水らとも親交を深める。高浜虚子の主宰する『ホトトギス (雑誌) ほとゝぎす』にも投句した。この時は号を玄骨と称していた。
1909年(明治42)、虚子が俳句創作を辞め小説に傾倒するとともに、蛇笏も俳句から遠ざかり、早大を中退し帰郷。その後、虚子の俳壇復帰と共に俳句の創作を再開し、『ほとゝぎす』への投句を復活する。

飯田蛇笏の詳細

飯田蛇笏に関するニュース


今週の本棚:池内紀・評 『龍太語る』=飯田龍太・著、飯田秀實・監修
毎日新聞
今年は俳人飯田龍太(一九二〇-二〇〇七)の生誕九〇年にあたる。父親は昭和の俳壇に一時代を築いた飯田蛇笏(だこつ)。昭和三七年(一九六二)の父の死後、その主宰誌『雲母(うんも)』を引き継いだ。三〇年後、九〇〇号をキリにして終刊。平成一九年の死の年まで、句 ...


俳人の松沢昭氏が死去
日本経済新聞
松沢 昭氏(まつざわ・あきら=俳人)13日、脳梗塞のため死去、85歳。自宅は東京都文京区千駄木2の11の6。お別れの会を行うが日取りなどは未定。喪主は長女で俳人、雅世さん。 飯田蛇笏に師事。1964年に俳誌「四季」を創刊。2000年から06年まで現代俳句協会会長を務めた ...
松澤昭氏死去(俳人)時事通信

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河北春秋
河北新報
つややかなナスの実の生気に、飯田蛇笏の句が浮かんだ。<採る茄子(なす)の手籠(かご)にきゆァとなきにけり>▼ナスはインド原産で元来、高温多湿を好む植物なのだという。日本には7~8世紀に伝わったとされる古い野菜だ。「夏の実」が転じて「なすび」。 ...


森澄雄氏死去 俳人、日本芸術院会員
47NEWS
喪主は長男潮(うしお)氏。 九大卒。学生時代から加藤楸邨氏の「寒雷」に投句を始めた。ボルネオで戦争体験。戦後「寒雷」編集長を長く務めた。70年、俳誌「杉」を創刊、主宰した。 俳句を、修練と老熟の「いまの文学」と説き、飯田龍太氏らと並… [記事全文]
俳人・文化功労者の森澄雄さん死去 91歳朝日新聞

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俳人と呼ばれることを嫌った森澄雄さんが亡くなった…
西日本新聞
飯田龍太さん(2007年没)らと共に戦後の俳壇をリードした ▼〈億年の中の今生実南天〉〈嚔(くさめ)して仏の妻に見られたる〉。材の多くを日常に求め、17文字に刻んできた。つらいことだが、命の輝きを女性の感性で31文字に置き換えてきた歌人河野裕子さんが ...